ジェイダイト(Jadeite)
「東洋の神秘」と崇められるジェイダイトすなわちヒスイ輝石(きせき)―――その世界最古の産地は東洋にあらず、実は「アステカ文明」の発祥地にほど近い中米グアテマラのモタグア渓谷地帯。14世紀末、権勢を誇るアステカ王国に貢物としてモタグアの集落から贈られたものが、ほかならぬジェイダイトだったのです。広大なメキシコ盆地に君臨した王国もやがて侵略者スペイン帝国に滅ぼされ(1521年)、ジェイダイトは根こそぎスペイン艦隊の船乗りに持ち去られます。黄金にも匹敵する石を手にスペインに凱旋した船乗りたちは、早速その石を「ピエドラ・デ・イヤーダ」(腰痛を癒す石、の意)と名付けます。この奇抜なネーミングについて、“持ち帰った宝物の値をつり上げるための船乗りの作り話”、とは米ティファニー社顧問クンツ博士の説。名付け親となった船乗りは腰痛持ちだったのでしょうか。腰痛を意味する「イヤーダijada」こそ、英語JADEの語源となる訳です。
ジェイダイトのジェム・メッセージ
ジェイダイトは和名「硬玉」、公式鉱物名を「ヒスイ輝石(きせき)」と称します。少々理屈っぽくなりますが、金属元素を主成分とする「珪酸塩鉱物」が凡そ宝石質鉱物の大半を占めるこの宝石界で、その珪酸塩の「珪素Si」と「酸素O」の比率が1対3を示す時だけ、何故か結晶体は繊維状に絡み合い重なり合う―――そんな鉱物を「輝石(パイロクシンpyroxene)」と呼びます。金属元素ナトリウムNaとアルミナAlが珪酸塩-Si2O6と出会った時、ヒスイ輝石ジェイダイトNaAlSi2O6の結晶は誕生します。SiとOの比率1対3が僅かでも違えば、その鉱物はジェイダイトとは似ても似つかぬ黄褐色で地味な曹長石NaAlSi3O8(長石族「アルバイト」)であるに過ぎません。ジェイダイトの繊維状微細結晶の最大特性は、驚異的な「粘性」とそこから来る強烈な「靭性(じんせい=割れにくさ)」。結晶の“強さ”は全宝石中№1、最高硬度10の王者ダイヤモンドを粉々にするハンマーの一撃も、このジェイダイト(硬度6.5)には通じません。こすり合せれば当然王者には負けますが、衝撃テストでは「靭性」が「硬度」に勝ります。
混じりけがなく純粋な結晶は白色を呈するジェイダイトは、外部から「クロム元素」が混入した時だけ、とろりとしたテリのある見事な緑色を発色します。その色合いが水辺の小鳥「カワセミ」(漢字で「翡翠」と綴る)の羽色に酷似することから、鳥の名がそのまま宝石の名前になったものですが、特にテリのいいジェイダイトのグリーンは、透明石と見まごうほど美しく、さしものカワセミも勝ち目はありません。
ジェイダイト・ヒスイ輝石の色合いには、グリーンカラーとは対極的な薄紫~赤紫色の「ラベンダー」カラーがあります。ジェイダイト結晶が、クロム元素でなく、鉄或はバナジウム元素を取り込んだ時に限り、結晶はバイオレットからパープリッシュなラベンダーカラーに染まります。その色の“みやび”に敬意を表して、特に「ラベンダー翡翠」の愛称がつきました。
ジェイダイトのマザーランド(代表的産地)
世界唯一のジェイダイト(硬玉)採掘地、それはミャンマー北部山岳地帯のカチン州パカンです。英国植民地時代の18世紀、カチンの山あいを流れるウル川の川底から大小様々なヒスイ輝石の岩塊が相次いで見つかり、中米グアテマラ以来の鉱脈発見となりました。褐色のボルダー状(岩石の隙間に結晶する)の原石は、ところどころからジェイダイトらしき質感がのぞき見えるだけで、岩塊の中は砕いてみない限り何も判りません。当地は現在なお“最後のフロンティア”と云われるほど非文明の未開地、加工地への移動は牛馬ゕ人力。しかも1年12ヶ月のうち乾季の5・6月しか作業はできません。―――加工後、同国中西部マンダレーに集結した原石は、中国・広州や一部密輸ルートを経て中国国内へ、そして商都ヤンゴンから世界へ。国営の「ヤンゴン・ジェイダイト・オークション」は2月・11月の年2回定期開催。出品されるボルダー状原石は採れたて無処理石ですが、研磨済みルースストーンは必ずしもすべてNN(天然無処理)とは行かないようです。 不純物の多い結晶は酢酸で煮出し(除去し)その隙間に樹脂を含浸して透明度を改善する“含浸処理”、また緑色より白色が強い結晶は緑色染料を染み込ませる“染色処理”が施されるのが一般的です。そして、いかなる人的処理も要さなかった“色もテリも申し分ない”ジェイダイトについて、特にImperial Jadeと称して「天然無処理」が公的に認定されます。
歴史の中のジェイダイト
歴史と云っても昭和の戦前、舞台は新潟県糸魚川(いといがわ)です。童謡「春よ来い」の作詞者として知る人ぞ知る詩人相馬御風(そうまぎょふう)は、早大文学部で哲学を学び、思うところあって郷里糸魚川に戻ります。同川上流「姫川」に伝わる『奴奈河姫(ぬながわひめ)伝説』に取つかれ、やがて「万葉集」長歌の中のある一首に辿り着きます。
「ぬな河の底なる玉(たま) 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも あたらしき君が 老ゆらく惜しも」
―――玉のように素晴らしい君もいずれ老いて行くのが本当に惜しい‣・・・と結ぶこの歌の「河の底なる玉(たま)」とはヒスイ輝石(玉=ぎょく)ではないか、と直感した御風は町役場に姫川川底の探索を依頼。すると川底から出て来たのは紛れもないジェイダイトだったのです。時に昭和13年、満州事変から日中戦争へ、訳も判らず戦争へとひた走る狂気の時代、ささやかな“サプライズニュース”が全国紙を通じて北陸からもたらされました。
―――余談ですが、その後再び上京した相馬御風は、母校早稲田のために校歌『都の西北』の詞を書いています。
ジェイダイトのトリビア
●漢字で「翡翠」と綴って、ヒスイと読めば宝石名、カワセミと読めば鳥の名前です。「翡翠」の「翡」も「翠」も共に色の緑を表しますが、実際のカワセミの羽は青~青緑、胴体に至っては鮮やかな赤。翡と翠は単なるオス(翡)・メス(翠)の区分という説もあります。―――この鳥が話題になるのは「色」だけではありません。東京・多摩川の川面を悠然と飛ぶカワセミの姿を見て、ある鉄道マンがつぶやきました“500系新幹線のフロントスタイルはこれで行こう”。――カワセミの長いくちばしが、時速300キロのレコードを作ったエース級新幹線のトップフェイスに決まった瞬間でした。
●同古代中国から根付いていた「玉(ぎょく)」の文化は、ジェイダイト(硬玉)でなくネフライト(角閃石=軟玉)を愛でる工芸文化です。共に玉(ぎょく)を名乗る二つの鉱物は、実は似て非なる別物。ミャンマーから硬玉が出現する18世紀まで、玉と云えばネフライト(軟玉)の白色系しか知らなかった中国の趣味人が、初めて見る硬玉の”緑”に息を呑む――そして発した言葉が「まさに琅玕(ろうかん=青緑に輝く竹)の如し」でした。
博物館で出会える有名ジェイダイト
・「翠玉白菜」――ジェイダイトの彫刻品/190x90ミリ/作者不詳(ミャンマー・カチン産)
台北故宮博物館(台北、台湾)
ジェイダイト履歴書
鉱物名 |
ヒスイ輝石 Jadeite |
和名 |
硬玉(こうぎょく) |
組成 |
ナトリウムとアルミニウムの珪酸塩鉱物NaAlSi2O6 |
産地 |
グアテマラ |
硬度 |
6.5~7.0 |
比重 |
3.25.~3.40 |
屈折率 |
1.66 |
誕生石 |
5月 |
僅か1%、世界最上級の厳選カラーストーン
ハナジマでは、取り扱う厳選したカラーストーンの実に90%が下の図のピラミッドの頂点に位置する僅か1%の最上級クラス「トップ・オブ・ジェムクオリティ」です。色の濃さは4~6ランク、透明度と輝きはSランク(下図を参照)のこだわった宝石です。
残り10%の取り扱う宝石は厳格な品質基準に合格した「ジュエリークオリティ」になります(下の図の灰色の部分)。
100分の1個の希少石でありながら、日本最大級のストック量を誇ります。
下の図は品質を表す1つの例であり、取り扱う宝石の全ての種類に該当します。
【 知的ジェムストーン物語 】
~ あたなの価値観を変える宝石の知識 ~
主に地球で育まれた天然鉱物である宝石のことを知ることでもっと身近に感じてほしい、また別の宝石にも興味を持ってほしい、そんな思いからシリーズとして書いております。引き続きシリーズを追加していきます。どうぞよろしくお願いいたします。
少々難しい部分もあると思いますが、そこを乗り越えて読み進んでいただき、美しい宝石の真実の姿を「知る面白さ」、「学ぶ楽しさ」を改めて体感して頂ければ幸いです。
「知的ジェムストーン物語」、下の画像をクリックすることで各ジェムストーンのページをご覧いただけます。どうぞお楽しみください。